Monthly Archive: 5月 2012

5月 21

衝撃の雄勝訪問  2011年5月11日

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(この文は2012年5月11日にちょうど一年前の出来事を記憶しようと書いたものです。)   昔過ごした思い出多い三陸の海岸を津波が襲う画像を見るたびに溜息をつき、テレビのスイッチを切る私の姿を見ていた妻が一言 「雄勝に行ったら・・・」 その言葉に押されて、思い切って雄勝に行くことにしました。40年ぶりの訪問です・・・。   5月11日東京発7:01発のやまびこ305号で仙台へ、そこからレンタカーで最初の目的地である石巻のボランティアセンターに到着。当社のボランティアの受け入れを交渉、しかし重機を持ち込む事は市役所の管轄とのこと。 話をしても無駄と判断し、石巻市役所で相談することに.。 石巻ボランティアセンターの様子   1時間の滞在のあと、雄勝に出発。 約2時間の行程です。 北上川の堤防を越えて全てを流した津波の威力、田んぼには車や船、そして流木が散乱しています。 雄勝に到着・・・ 人がいない。 音の無い世界に海鳥の声だけが・・・ 建物、家屋は全壊、半壊、手付かずの状態。破壊しつくされた町を前に立ちすくむしかありません。 祖父の家は雄勝の中心部にあったはずですが、瓦礫でその場所すら確認できません。   町が消えた・・・ 雄勝町の惨状   重い気持ちで石巻市役所に到着 連絡を取り合っていた市役所の村上課長と雄勝支所の千葉次長との話し合いの結果、雄勝小学校グランドの瓦礫を整理し、復興市場の駐車場を作って欲しいとの提案。市役所管轄なので重機とボランティアが一体で活動出来ます。もちろん快諾です。 雄勝小学校こそ120年前に祖父が卒業し、祖母が教鞭をとった学校です。まさかの偶然に驚きと感謝です。 余談ですが祖父母がその後東京に居を構え、生まれたのが私の母です。   5月11日、仙台発20:01のやまびこ66号で東京へ・・・ 東京は日常そのまま、被災地との大きな落差を感じ、帰宅。     後日・・・ それから1週間後の5月19日に当社のボランティアが雄勝に入り、復興市場の為の整地作業を雄勝小学校で実施。   blog-第2回雄勝町ボランティア活動 5月21日のボランティアの終了後、当社のボランティアに参加していた長男に雄勝町分浜を訪問し、40年間音信不通のハトコの貫太郎の消息を調べさせました。 分浜の瓦礫の中でたたずんでいる男性が一人・・・ 長男がハトコの消息を尋ねると 「それは俺だ」 さらに「お前こそ誰だ!」・・・ すぐさま、私が彼と携帯で話をしたのは言うまでもありません。40年ぶりの会話、彼は船乗りなので会えるタイミングはその日その時間しか無かったそうです。何たる偶然と幸運!   祖父母が出会った雄勝小学校(旧雄勝尋常小学校)でのボランティアやハトコとの再会を考えると、人間というものは不思議な縁の中で生きているのだという事を思わずにいられない経験をする事が出来ました。 そして、この縁を大切にして被災地の復興に少しでも役立ちたいと思った次第です。   歳原 博幸

5月 08

第6回雄勝町ボランティア活動 2012年4月19日~4月22日

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第6回支援メンバーは内田、甘粕、高橋、歳原悠司の4名にて行いました。   今回の作業内容は、海の男 成澤さんのお手伝い(牡蠣の養殖)と宿泊先である全勝旅館での 膳の上げ下げ、皿洗いなどのお手伝いです。    1日目 まず、目的地に向かうまでの車内からの画像 更地になり綺麗に片付いている所もありましたが、まだ瓦礫の山があったり、道路もボコボコしていたり、防波堤も直っていないところもありました。 今回初参加の2人は1年経った後の光景や町並みにも驚き、衝撃が走り、何か・・・熱く込み上げてきました・・・。     現地に到着して宿泊先の全勝旅館さんと今夜の作業内容の確認、明日からお世話になる成澤さんにご挨拶を して翌日からの作業の打ち合わせをしました。 みなさん気さくで、温かく迎えてくれたのが嬉しかったです。 この全勝旅館さんは標高20メートルの高台にあるのですが、津波の時は床下まで水が来たと言っていました。   初日の夜は地元商工会さんの方々とMBCメンバーとの合同懇親会が行われました。 我々は旅館の丁稚となり膳の上げ下げや飲み物の提供、懇親会が終わった後は大量の皿洗いをお手伝いさせて頂きました。 50名以上の皿洗いはなかなかの重労働でした(昔のアルバイトを思い出しました。。。)   ただ、うれしいこともありました 新鮮で美味しい海の幸を頂けたり、MBCメンバーの片に後片付けを手伝ってもらったり・・・ そして最後に旅館のご主人がお礼にとビールの差し入れをしてくれたりしました。 ただただ感謝するばかりです。   2日目 いよいよ成澤さんのお手伝いをさせてもらいます。 前日の打ち合わせで早朝5時から船に乗って牡蠣棚に行き、作業を行いました。 作業は、船のわきにブイのついた牡蠣棚を前後に張り、ロープに付着した海藻(わかめ等)やブイに付着した 貝類(フジツボ等)を鎌やヘラを使って、一本一本取り除く作業を行いました。 ワカメの根が牡蠣に絡みつくと牡蠣が口を開けられなくなり死んでしまうと言う事で、とても重要な作業です。 しかもワカメの根は固く、かなりの力とコツのいる作業でした。       一旦朝食をとるために7時に旅館へ戻り、再び8時から作業再開。 お昼になり成澤さんのご自宅(仮設住宅でした)へお邪魔して奥さんの手料理をごちそうになりました。 味は天下一品でした^^v そして午後は15時くらいまで作業をさせて頂きました。   この作業を普段は成澤さんお一人でこなしていてさすがは海の男と感心してしまいました。 ただ、時たま海に落ちることもあるそうです   ・・・ 内緒ですが^^;   そして夜は再び旅館で丁稚となりお手伝いをさせて頂きました。   3日目 2日目と同じ朝5時からの作業予定でしたが、MBCメンバーの方々が牡蠣棚の見学をする事になり早朝からお出かけになったので、私たちもみなさんと一緒に朝食を頂き、8時過ぎから作業を行いました。 お昼にはまた成澤さんの奥さんの手料理をご馳走になって、15時頃に終わりました。   作業終了後にボランティアメンバーと道の駅にある「ふたごの湯」に入りに行きました。 冷え切って疲労困憊の身体に温かいお湯は最高に気持ちよかったです!   最後の夜は成澤さんのお宅にお呼ばれして、新鮮な牡蠣料理や美味しいおかずを肴にお酒を頂きながら、いろいろな話をしました。時間はあっという間に過ぎ、そろそろお暇しようとしたところ、成澤さんに引き留められ2次会がスタート、とうとう23時過ぎまでお邪魔してしまいました。 今回、私は初参加で当然の様にあるはずの風景が、今なお取り戻せていない風景を見て、ただ圧倒されそうになっていました。 しかし落ち着いて行動してくれるボランティア経験のある仲間を見て、私も今やれることをやれば良いのだと気付くことができました。 実際の作業の時はひたすらがむしゃらになっていた気がします。 それ自体も今回お手伝いをさせて頂いた成澤さんや、被災した地域の皆さんの姿を見たからかもしれません。   …

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