(この文は2012年5月11日にちょうど一年前の出来事を記憶しようと書いたものです。) 昔過ごした思い出多い三陸の海岸を津波が襲う画像を見るたびに溜息をつき、テレビのスイッチを切る私の姿を見ていた妻が一言 「雄勝に行ったら・・・」 その言葉に押されて、思い切って雄勝に行くことにしました。40年ぶりの訪問です・・・。 5月11日東京発7:01発のやまびこ305号で仙台へ、そこからレンタカーで最初の目的地である石巻のボランティアセンターに到着。当社のボランティアの受け入れを交渉、しかし重機を持ち込む事は市役所の管轄とのこと。 話をしても無駄と判断し、石巻市役所で相談することに.。 石巻ボランティアセンターの様子 1時間の滞在のあと、雄勝に出発。 約2時間の行程です。 北上川の堤防を越えて全てを流した津波の威力、田んぼには車や船、そして流木が散乱しています。 雄勝に到着・・・ 人がいない。 音の無い世界に海鳥の声だけが・・・ 建物、家屋は全壊、半壊、手付かずの状態。破壊しつくされた町を前に立ちすくむしかありません。 祖父の家は雄勝の中心部にあったはずですが、瓦礫でその場所すら確認できません。 町が消えた・・・ 雄勝町の惨状 重い気持ちで石巻市役所に到着 連絡を取り合っていた市役所の村上課長と雄勝支所の千葉次長との話し合いの結果、雄勝小学校グランドの瓦礫を整理し、復興市場の駐車場を作って欲しいとの提案。市役所管轄なので重機とボランティアが一体で活動出来ます。もちろん快諾です。 雄勝小学校こそ120年前に祖父が卒業し、祖母が教鞭をとった学校です。まさかの偶然に驚きと感謝です。 余談ですが祖父母がその後東京に居を構え、生まれたのが私の母です。 5月11日、仙台発20:01のやまびこ66号で東京へ・・・ 東京は日常そのまま、被災地との大きな落差を感じ、帰宅。 後日・・・ それから1週間後の5月19日に当社のボランティアが雄勝に入り、復興市場の為の整地作業を雄勝小学校で実施。 blog-第2回雄勝町ボランティア活動 5月21日のボランティアの終了後、当社のボランティアに参加していた長男に雄勝町分浜を訪問し、40年間音信不通のハトコの貫太郎の消息を調べさせました。 分浜の瓦礫の中でたたずんでいる男性が一人・・・ 長男がハトコの消息を尋ねると 「それは俺だ」 さらに「お前こそ誰だ!」・・・ すぐさま、私が彼と携帯で話をしたのは言うまでもありません。40年ぶりの会話、彼は船乗りなので会えるタイミングはその日その時間しか無かったそうです。何たる偶然と幸運! 祖父母が出会った雄勝小学校(旧雄勝尋常小学校)でのボランティアやハトコとの再会を考えると、人間というものは不思議な縁の中で生きているのだという事を思わずにいられない経験をする事が出来ました。 そして、この縁を大切にして被災地の復興に少しでも役立ちたいと思った次第です。 歳原 博幸