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5月 29

2024年雄勝町社員旅行

 

日時 2024年5月24日(金)~25日(土)

行先 宮城県石巻市雄勝町

宿泊 石巻グランドホテル

宴会 割烹竹の浦

訪問先 石巻市雄勝支所、道の駅碩上の里おがつ、成澤漁業、大川小学校、雄勝町震災慰霊公園

バス カミコウバス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日和山公園にて

 

8年ぶりとなる雄勝町への旅行に行ってまいりました

1日目

朝7:30に一路石巻を目指して出発、車内では早速宴会が始まり用意していた缶酎ハイは到着前に売り切れてしまいました。途中安達太良SAでお昼を頂き、さらに北上し15:30に石巻市日和山公園に到着。石巻港を一望できる高台で記念写真を撮りました。

震災直後は何かも流されてしまった港は綺麗に整備されていました。ただ人家のあった場所に人家は無く震災伝承館が建っていました。

 

ホテル到着後少し休んでから再びバスに乗り宴会場となる割烹竹の浦さんへ移動

到着して驚いたのは会場の名前が「蘭の間(あららぎ)」だった事、亡くなった蘭常務も一緒に参加したかったのでしょうか、とても不思議な縁を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

宴会は歳原社長の挨拶から始まりました

続いて来賓代表として澤村製碩株式会社より澤村社長様にご挨拶を頂戴しました。

ご来賓は澤村社長様、元雄勝支所長千葉様、成澤漁業より成澤様、成澤さんご子息の4名が参加されました。

 

加藤取締役の発声で乾杯! 現地コンパニオンさん3名が宴会を盛り上げてくれました

カラオケも始まり大盛り上がりであっという間に2時間がすぎてしまいました

みんな笑顔で日頃の憂さも晴れたはずです

 

二日目
8:30にホテルを出発して雄勝町へ
最初の訪問は雄勝地区震災慰霊公園です。雄勝病院跡地で津波により3階建ての屋上まで波にのまれてしまい、入院患者、医師ら50名以上が亡くなった場所との事でした。
みな思いおもい手を合わせ亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしました。
慰霊碑には千葉さんのご子息のお名前も刻まれておりました・・・

雄勝地区震災慰霊公園モニュメント

千葉さんのご子息のお名前も刻まれていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて雄勝支所にて安部支所長から雄勝町の被害と復興状況の説明をして頂きました。

雄勝町では震災前4300人いた人口は今や1300人となってしまったとの事、しかし漁業権の関係で住所だけを雄勝町にしている方もいらっしゃる為、実際には1000人にも満たない実人口であるとのお話でした。

高台移転や10Mもの巨大防潮堤等、ハード(箱)の面では整備されたものの、人が戻って来ないとついには限界集落になってしまう恐れもあり、コミュニティの活性化策として道の駅を作り人の往来を呼び人口増に取り組んでおられるとの事でした。

雄勝支所での説明会の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓からはカモメ?が飛び、奥には防潮堤が見えます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食は道の駅碩上の里おがつにある伝八寿司さんのウニホタテ丼を頂きました

ウニはまさに今が旬という事で、朝獲れ完全無添加の新鮮なウニとホタテは何も付けずとも甘く口の中でとろける美味しさでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食後は成澤漁業さんへ訪問

我々が継続してお手伝いさせて頂いた牡蠣養殖の見学をさせて頂きました

ボランティア経験者は、あのきつかった作業を思い出すと同時に懐かしさが込み上げてきて盛り上がっていました。また初めてのメンバーは目の前で見る牡蠣棚に新鮮な驚きがあり、とても良い経験になったと思います。

そして帰り際には全員に2袋ずつもの新鮮な牡蠣をお土産頂きました。成澤さんいつも有難う御座います!

出航前に一枚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船上にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしていよいよ最後の行程となる大川小学校(震災遺構)を訪問

献花台に花を置き全員で手を合わせました。ひと際大きい花が亡くなった子供達や先生方への慰霊になればと思います。ここでは108名もの子供たちと先生がたが亡くなったそうです。避難誘導について裁判になった事は有名な話ではあります。

ただ避難誘導をした先生方も亡くなっている訳で、みなが最善と思う判断をしてもそれを上回る災害の前では無力でしかなかったという事だと思います。 ただこれからは「想定外」という言葉を使わずに済むように残った我々は行動すべきだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから13年がたち、今回の旅行で思う事は被災地は未だに被災地であり、見た目は綺麗になったとしてもその場所に人はおらず、復興とはとても言えない現状と、その地でなんとか以前の雄勝を取り戻そうと奮闘努力する人々の想いが我が事の様に感じられました。

また未だ心癒えない人達もいる中で22,300もの人が亡くなった大災害があった事を決して忘れてはいけない事だと思います。そしてこれからも起こるであろう大災害に対する備えをする事で今回お世話になった皆様への恩返しになるのではないかと感じました。

 

最後にこの様な機会を与えて下さった会社と歳原社長へ深く感謝いたします。

 

以上